S.K.

研修医、なんとなく考えていたこと

私が初期研修をした病院は、当直の初療を指導医と一緒に行う三次救急の市中病院でした。その病院の救命科は初期対応から集中治療までを一貫して診る、いわゆる「自己完結型」の救命科でした。研修医でも救急外来の最前線に立つことができ、忙しくはありましたが、先輩たちも優しく、やりがいはあり楽しい研修だったと思います。

重症患者を多職種チームで診ている中で、「このまま自分は救命科に行くのかな」と考えていた時期もありました。ただ、集中治療を終えた患者さんを見ていると、少しずつ気になることも出てきました。状態は安定しているけれど、障害が残り自宅にはすぐ帰れず、「リハ転待ち」として回復期リハビリテーション病院への転院を待つ患者さんが少なくありませんでした。

「この人たちは、このあとどうなるんだろう」と考えるようになりました。

将来は(かなりの田舎である)地元でクリニックを開業することも考えていたので、急性期病院が診る“急性期”と、開業医が関わる“生活期”の間にある「回復期」を見てみたいという気持ちが出てきました。

情報なし、慶應医局にたどり着いた話

出身大学には当時リハビリテーション科がなく、学生時代から情報はほぼありませんでした。正直、「リハ科って何してるんだろう」というレベルで、後期研修先を探していたと思います。

自分でプログラムを調べたり、救命科の指導医に相談したりする中で、慶應医局とは特に関係のない先輩から、「リハビリテーション科なら、慶應じゃない?」と言われたことがありました。

深い理由が分かっていたわけではありませんが、他科の先生が自然に名前を挙げるということは、それなりに評価されているんだろうな、と感じました。他に行く宛もなかったので、とりあえず見学に行ってみることにしました。

見学で見たリハビリテーション科の診療は、それまで自分が思っていたものとはかなり違っていました。患者さんがどんな生活に戻りたいのか、そのために今何が必要なのか、「地味そう」という先入観とは裏腹に考えることも多く、守備範囲も広い診療科でした。

リハビリテーション科医になってから分かった、守備範囲と専門性

リハビリテーション科医として働き始めて、関わる領域は想像していたよりずっと広いこともわかりました。ICUでの挿管中の患者さんの早期離床から、早産児の哺乳やポジショニング、がんにおける予防〜緩和的介入など、生まれてから人生を終えるまで関わり続ける守備範囲の広さを感じました。

特に印象に残っているのは、それまで全く縁のなかった小児分野での研修です。小児専門病院で研修する中で、発達段階を踏まえた評価や介入、家族や地域への関わり方を学び「リハビリテーション科はちゃんとした専門分野なんだな」と実感しました。

今振り返って思うこと、そしてこれからのこと

リハビリテーション科での経験を重ねる中で、将来の開業についても、以前より現実的に考えられるようになりました。急性期、回復期、生活期は別々のものではなく、一続きの流れだと感じています。

その流れを一度すべて見た上で地元に戻れたら、開業医としても、患者さんの「その後の人生」にもう少し踏み込んで関われるのではないかと思っています。

今思うと、自分は「救命科志望」だったというより、「患者さんの人生に関わりたい」タイプだったのかもしれません。救命科は病院の入り口で人生が大きく変わる場面に関わり、リハビリテーション科は病院の出口で、その後の生活に向き合います。 

入り口か出口かの違いはありますが、どちらも患者さんの生活と接しています。そう考えると、リハビリテーション科を選んだ理由は、救命科を志望していた時とそれほど変わっていなかったのかもしれません。

もし今、進路に迷っているなら

リハビリテーション科という選択肢も、少しだけ頭の片隅に置いてみてください。初期研修で「いろいろな患者さんを診るのが好きだな」と感じた人には、リハビリテーション科は案外向いていると思います。思っているよりも、守備範囲が広くて、やれることの多い診療科です。

S.K.

2020年度入局
2020年 国立病院機構埼玉病院
2021年 済生会東神奈川リハビリテーション病院
2022年 東京都立小児総合医療センター
2023年 東京湾岸リハビリテーション病院

医局内のおしゃれ番長。ファッションのみならずグルメにも精通しており、googleマップ内のブックマークは数えきれないほど。後輩医局員の相談も親身になって聞いてくれる、頼れる先輩です。地元での開業も視野に入れ、日々臨床に邁進しています。